色々と話題のあいちトリエンナーレを9月の連休を活用して、9/22〜24の3日間堪能してきました。名古屋は初めてではなかったですが、相当久しぶりでした。名古屋市、豊田市という土地も含めて、楽しめ大満足だったのですが、作品以外からも、あいトリを中心に感じたことをいくつかメモです。

可視化の重要性

何か文章やアートなど表現する、行動してみせることで、可視化して初めて違いに気づくことが多い。もともと(日本人が特にかもしれないが?)人の中にあることはなかなかわからないので、外に可視化してみて、ハレーションが起きる、もしかしたら不自由に気づく、そんなことが多いのかもしれない。というのも、「表現の不自由展・その後」の展示室へ続く扉に、

「あなたは自由を奪われたことはありますか?それはどんなものでしたか?」

という質問に答えて、それを付箋のように貼りだすという催しがあり、私も参加しようとしたのですが、、うーん。自由奪われているのか?と考え込んでしまったのです。


ひょっとすると、私は(特に日本人は)「物事を可視化する」そのプロセスを踏めていなさすぎなのではないか、自由を奪って不自由にしているのは、自分自身のこころのブレーキなのではないか?とも感じてしまったのです。(幸せなことにほんとーに不自由が少ない、のかもしれない)

そんな意味で、この付箋の展示方法含めて、アーティストって、可視化・行動のプロなんだな!と、改めて実感。すばらしいなっと感じました。

シンボルの「良い」意味でのあいまいさ

「可視化」という話をしましたが、可視化するためには、言語でも形でも何らか「シンボル化」というプロセスをへることになります。これが良い意味でもまた場合によっては悪い意味でも、表現しようとする人が余計と思われる情報をあえて欠落させ、抽象度を上げるプロセスになります。

このプロセスを経てシンボル化されたことで、同じシンボル(抽象)に対して、各々の人が受け取る印象の違いを生み出すことになる。各々の背景や経験とミックスされて具体化された印象として捉えられるから、特に文化や時代背景、コンテクストが違った場合は、その印象が大きく変わってしまうことも十分ありうる。「アート」文脈ではこれは良い意味での自由度を与えると思うが、逆に細かく伝えたい場合には逆効果や誤解も産むようだ。(両者は同じ現象だし、意図的にそれをやるケースもあるかもしれない)

表現して可視化すると同時に、それを見て受け取る側の読み取る力、そのシンボルを使って議論する力もあわせて鍛えていかないと、ただただ対立と分断だけが残る可能性もありそうです。対立を避けて可視化を恐れるのではなく、対立を乗り越える関係性をしっかり作っていくことが大切だなと。

個人(小組織)と大組織の違い

あいトリではある展示が中断になったりして、その経緯に対して、検証委員会からガバナンス、コンプライアンスの課題の指摘が多い。たしかにこれだけの大きなイベントの影響が大きかったのは確か。お互い感覚の違う人・組織同士のコミュニケーション不足が大きく取りだたされていると思います。このアーティスト個人と大組織の間の緩衝材を本来は美術キュレーターが果たせると良かったのかもしれません。決定的な敗因は芸術監督が自身の行動範囲を広げ過ぎてしまい、本来やるべきことに集中できなくなってしまったことなのかもしれない。なぜできなかったのかはわからないが、適切なキュレーターを配置できていれば、、と思う。

というのは聞きかじったにわか知識での理解だが、実はそんなおおげさな話でもないく、自分自身の仕事に対してもなかなか身につまされる話だったりもする。

最後に展示についての話「喜楽亭 / 旅館アポリア」

現代美術はとても難解なものが多い気がする。上述したように、まだ色々と可視化されていない、社会や個人の中にだけあるものを可視化していこうという取り組みが多いのだから仕方がない、というかそういうものだと思っている。

が、中でもあいトリの展示の中で一番自分が「なにか」共感したのは「喜楽亭」で見た「旅館アポリア」でした。


喜楽亭という場所は、「豊田市神明町にあった「喜楽亭」は、明治時代後期から続いた料理旅館で、大正期の代表的な町屋建築として知られています。戦前には養蚕業、戦後には自動車産業の関係者が多く利用しました。」

http://www.cul-toyota.or.jp/sisetuda/sanbun_kirakutei.html

という一見、ごく普通の「文化財」的 古い旅館、建物なのですが、そこで、展示されていたのが「《旅館アポリア》2019 / ホー・ツーニェン」という作品。

この喜楽亭が「戦争末期に沖縄の米軍艦隊に突撃した神風特別攻撃隊の草薙隊が、この地を発つ最後の夜を過ごした場所でもありました。」という史実の発見から着想し、その場所で、当時の戦争に向かっていく時代で喜楽亭も使った人たちがどんなことを感じていたのか、日本の空気感といったものをインスタレーションで表現していた。

特に強く印象的に何かを訴えるというわけでもなく、淡々と見つけた事実などを映し出していくが、なんとも作品を見ている場所自体が深くつながっていることで、そして場の演出が相まって、時間とか空間が歪められ、当時の現場感とかリアリティをぐぐっと感じる作品となっていました。場所や土地に染み付いた何かってあるんだなぁと感じました。

家の近くにある神社や古い建物などの歴史を調べるともしかしたらそういったキオクのようなものが見つかり当時を深く学ぶきっかけになるかもしれません。

あいちトリエンナーレ2019は、いろいろと話題も刺激も多い、芸術祭参加となりました。近くで行くチャンスがある方はぜひオススメです。